高麗人参のルーツについて

中国の古い書物にも記載のある高麗人参

高麗人参は2000年以上前から、漢方薬や生薬として用いられていたと考えられています。高麗人参に関する記録のうち、古いものだと中国の漢方医学書である「傷寒論」や「神農本草経」があります。

当時は、高麗人参を人工的に栽培する技術はありませんでした。そのため、非常に希少な漢方薬とされており、一般庶民が高麗人参の漢方薬を飲むことはまずなく、ごく一部の王や貴族が大勢の人手を使って山奥に自生している高麗人参を探し出して、ようやくありつけるという状況でした。

江戸時代には日本でも高麗人参が人気に

高麗人参が日本に来たのは奈良時代です。日本の天皇へ貢ぎ物として中国から持ってきたのが最初だといわれています。当時は日本でも身分が非常に高い一部の人しか手に入れることができませんでしたが、江戸時代に入ると韓国から高麗人参を輸入するようになったのをきっかけに、高麗人参の大ブームが起こります。
当時、高麗人参は万能薬であると思われており、健康マニアとしても知られている徳川家康も、高麗人参を愛飲していたとの話が残っているほどです。
やがて、高麗人参は「朝鮮人参座」とよばれる売買所にて出回りようになりました。高額ではあるものの一般庶民でも購入することが可能になったため、病気治癒のために大金をはたいて買い求める人や、転売を目的として買う人が殺到したといわれています。

徳川家八代目将軍である徳川吉宗の時代になると、高麗人参の国内栽培に注力するようになります。吉宗の時代になる以前も、高麗人参の栽培について研究はされていましたが、栽培方法が難しく、細かい条件を満たした環境でないと育たなかったため、なかなか成功に至っていませんでした。
吉宗の時代で初めて国内での栽培に成功すると国の財政難を助けるために、高麗人参の栽培により積極的になり、松江や会津を中心に人参畑をたくさん作りました。

明治時代になると、西洋医学が入ってきた影響で高麗人参の人気は衰えましたが、1960年頃、科学技術の進歩により高麗人参には「サポニン」とよばれる栄養が豊富に含まれていることが分かりました。万能薬ではないということが判明したものの、血行促進作用や冷え性改善、老化防止の効果を持っていることで注目を浴びるようになり、今でもその効果を求めて高麗人参のサプリや漢方薬が売れている状態です。

西洋でも人気のある高麗人参

高麗人参の人気はアジア圏内にとどまりませんでした。
大航海時代に高麗人参は西洋にも進出するようになり、フランスの思想家として有名なルソーや、ロシアで有名な文豪のゴーリキーも高麗人参を愛飲したといわれています。
他にも、英国の女王エリザベス1世や、ローマ法王のヨハネパウロ2世なども高麗人参の愛飲者として知られています。

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