高麗人参の産地~日本編~

日本での高麗人参栽培の歴史

もともと韓国や中国では自生していた高麗人参ですが、日本に自生した高麗人参はありませんでした。
そのため、日本で高麗人参が知られるようになったのは、奈良時代に中国から天皇への貢ぎ物として高麗人参が贈られたことがきっかけだといわれています。

高麗人参の効能の高さが日本でも知れ渡ってから輸入が始まり、ついには日本国内でも栽培できないか試みるようになります。

最初に栽培を試したのは、1592年以降です。高麗人参の種を手に入れるために豊臣秀吉が朝鮮出兵を行い、見事種を持ち帰ることに成功します。
そして、秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛によって、高麗人参栽培の研究がされました。黒田官兵衛の祖父は薬草に詳しく目薬などを売っていたため、黒田官兵衛本人も薬草の知識はそれなりに持っていたと考えられますが、この時の栽培研究は失敗に終わります。

初めて日本国内での栽培が成功したのは、徳川家八代目将軍である吉宗の時代です。幕府再建という目標のもと、高麗人参の栽培を熱心に行い見事成功させ、日本中に栽培方法を広めました。この頃に「オタネニンジン」という名前が付けられるようになり、オタネニンジンの名は現在でも学名として残っています。

日本で高麗人参栽培を行っている地域

中国や韓国の生産量に比べると、日本産の高麗人参の生産量は劣りますが、それでも福島、長野、島根などの一部地域で現在も高麗人参の栽培が盛んに行われています。

福島県の高麗人参

福島県の会津地方で高麗人参の栽培が行われています。会津地方は山に囲まれていることが大きな特徴で、そのため夏は気温が高く、冬は気温が低い傾向にあります。この寒暖差の激しさは高麗人参の栽培に適しており、江戸時代に会津地方での栽培が成功しました。
日本国内でも会津地方の高麗人参は栽培の歴史が古く、会津地方で作られた高麗人参のことを「会津人参」とよんでいます。

島根県の高麗人参

島根県の松江市も高麗人参の栽培地として知られています。
1773年に松江藩が高麗人参の畑を新しく作ったのが最初で、その当時は地域の住民が強制的に栽培作業へ駆り出されていました。そのかいあってか、一時期は会津地方の高麗人参生産量を上回ったこともあります。

長野県の高麗人参

長野県の信州地方も寒暖差の激しい地域として有名で、高麗人参の栽培に適しています。
信州地方での栽培は1846年にスタートし、日光や会津から長野へ種を持ち帰った神津孝太郎という人の手によって栽培が行われました。
ひと昔前までは、至る場所で高麗人参の栽培が行われていましたが、韓国産や中国産の高麗人参を使用する業者が増えた影響で農家が減少している傾向にあります。

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